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イスタンブール歴史地域(1985年)    Historic Areas of Istanbul

イスタンブール歴史地域330年、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(在位306年〜337年)が帝国の首都に定め、コンスタンティノープルとした。西ローマ帝国滅亡後も東ローマ帝国は領土をイタリア、地中海沿岸、アフリカまで拡大し、隆盛を極めた。2度にわたり焼失したアヤ・ソフィア大聖堂は、534年ユスチニアヌス1世(在位527年〜565年)のもとで、高さ54m、床面積1万?uの石造りのドームを主体として再建された。
約1千年繁栄を誇った東帝国も、イスラム帝国オスマン・トルコの攻撃によって陥落した(1453年)。三方海に囲まれ、陸は3重の城壁に守られ、難攻不落といわれた都市を、メフメト2世は一夜のうちに72隻の軍艦を山越えさせるという奇襲作戦で攻略したのである。
オスマン帝国の首都としてイスタンブルと改称され、市内はイスラム風に整備、教会にはミナレット加えられてモスクに改修された。1923年共和制となり、首都はアンカラに遷されたが、様々な歴史を持つトルコ最大の都市として世界各地から多くの旅行者を惹きつけている。
歴史地区内には、征服王メフメト2世が造営、荘厳王シュレイマン1世により拡充されたトプカピ宮殿、その南西にモスクに改修されたアヤ・ソフィア大聖堂。つづいてブルー・モスクと呼ばれるスルタンアフメット・モスク。6本のミナレットを持ち、青を基調としたイズニック・タイルで飾られた内部壁面が美しい。
さらに、カパル・チャルシュ(グランド・バザール)、テオドシウス広場、ヴァレンス水道橋、ガラタ塔などがある。

ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群(1985年)

アナトリア中央に広がる凝灰石で出来た大奇岩地帯。エルジェス山が先史時代に噴火し、その火山灰や溶岩が堆積、長い年月で風雨にさらされ、浸食されてできたとされている。
ギョレメ渓谷には古く石器時代から青銅器時代に人が住んでいた。有史時代に入り、キリスト教徒が住み着いたが、7世紀後半になるとイスラムからの迫害を避けて住むキリスト教徒が急増。洞窟教会や修道院が盛んに作られた。ギョレメ野外博物館で公開されている。「林檎の教会」、「へびの教会」「暗黒教会」など。
カッパドキアに住み着いたキリスト教徒は襲撃を避けるため大規模な地下都市を築いた。
その一つ、カイマクルの地下都市は地下8層になっており、居室、ホール、教会が設けられている。

ディヴリーの大モスクと病院(1985年)    Great Mosque and Hospital of Divrigi

ディヴリーの大モスクと病院東アナトリアにある集団礼拝用のモスクと慈善目的の病院の石造建築。セルジューク・トルコ朝バロック形式で、出入り口に美しい彫刻が見られる。

ハットゥシャ(1986年)   Hattusha

ハットゥシャトルコ中央に位置する現在のボアズカレ。紀元前1650年ヒッタイトの王ハットゥシリ1世が首都をクッサラから遷してヒッタイト王国の首都とした。ヒッタイト人は史上初めて鉄器を作り出した民族。鉄製の武器を持ち、軍馬に曳かせた2輪戦車を繰ってハンムラビ王朝のバビロンを攻略、その後エジプトとオリエントの覇権争いを繰り返した。20世紀に入り発掘された粘土板で、エジプトのラムセス2世との間のカデッシュの争いの講和がエジプト側の文書とあわせ事実であったことは判明した。楔形文字の使用で有名。

サフランボル旧市街(1994年)    Safranbolu

サフランボル旧市街群生するサフランからその名が付いたサフランボルは、トルコの北部に位置しハマムを中心に斜面に広がった町です。旧市街での曲がりくねった石畳、昔ながらの木造の家並みは中世そのもので、2階部分が1階より張り出す構造は独特の作りとなっています。シルクロード交易では黒海と地中海を結ぶ重要な中継地でした。トルコで一番美しい町ともいわれています。

ヒエラポリスとパムッカレ(1988年)    Hierapolis-Pamukkale

ヒエラポリスとパムッカレパムッカレとはその白い石灰岩の棚田の様子から「綿の宮殿」と呼ばれ、トルコ観光のシンボル的存在です。水をたたえた無数の白い棚田が標高差200メートルにわたり続く様はまさに絶景です。 パムッカレの一番高いところには、ヒエラポリスの遺跡があります。紀元前2世紀ベルガモン王国時代から栄えたこの都市は一時10万人を越す大都市でした。ローマ皇帝ハドリアヌスにより建てられた円形劇場が残されている。1354年の大地震で廃墟となった。

ネムルート・ダーゥ(1987年)    Nemrut Dag

ネムルート・ダーゥ標高2180メートルのネムル−ト山(山はトルコ語でダー、・・・山の場合はダーゥと発音)にある遺跡です。紀元前3世紀に興ったコンマゲネ王朝は、後にアンティオコス一世時代に通商で財を成しましたが、紀元72年ローマに併合されました。残された頭部だけでも3メートルの高さの巨像はローマ遺跡とはまた違った文明と、往時の繁栄をしのぶことができます。

クサントスとレトーン(1988年)    Xanthos-Letoon

クサントスとレトーンギリシャ神話にも登場する古代都市クサントスは紀元前545年、アケメネス朝ペルシアの侵略で灰燼と帰した。その後再建されたものの、シーザーを暗殺したブルータスにより市民は虐殺され、7世紀にアラブの襲撃でついに廃墟と化した。遺跡で特徴的なのは塔墓で、人面の鳥のレリーフが有名。 クサントスの南西のレトーンはゼウスの愛人で、アポロンと女神アルテミスの母女神レトの神殿があった。ゼウスの妻ヘラから疎まれたレトはオリンポスを追われこの地に滞在したといわれる。

トロイ遺跡(1998年)    Archaeological site of Troy

トロイ遺跡トロイ王子パリスがスパルタ王妃ヘレンを誘惑したことから始まったトロイ戦争は「イリアス」、「オッデセイ」で知られ最も有名なギリシャ神話です。子供のときからこれを信じたシュリーマンが発掘を続け、ついに発見したのがこの遺跡です。 ギリシャ連合軍がトロイをだまそうとして作ったといわれる巨大木馬が目を引きます。